


2026年に新潟県社会福祉士会(以下、社会福祉士会)が法人格を取得して20周年を迎えました。そこで歴代会長にインタビューをさせていただいています。まずは社会福祉士の資格を取得しようと思われたきっかけを教えてください。
だいぶ昔の話になるなぁ(笑)。長岡三古老人福祉会(以下、三古福祉会)ではスタートのときから関わらせてもらっていました。認知症ケアができる老人ホームを作りたいということからスタートしたのが三古福祉会で、国の動きとしても、これから認知症の方の数が増えるということに対して、きちんとケアを担当する専門知識を持ったワーカーが必要だという大きな流れがありました。そんなときに、各県に1カ所ずつ認知症の研修施設を作りなさいという指示が出たんですね。幸いにも、我々は先んじて動いていたものですから、全国社会福祉協議会(以下、全社協)から研修施設に指定されました。ほとんど同じ時期に社会福祉士の制度が始まったんです。私はあまり勉強が好きではなかったんですが、研修施設の責任者は全社協主催の社会福祉士国家試験の受験対策講座を受けなさい、ということでしぶしぶ受けざるを得なかったというのが本当のところです(笑)。
そうでしたか(笑)。当時は社会構造が変化し始めた大変な時期だったと思います。平成元年に第1回目の国家試験がありました。近藤さんが合格されたのは第3回だと記憶しています。当時は新潟県で10数名しか社会福祉士がいなかった。そして、平成4年に社会福祉士会が発足しました。どのような流れで組織化が進んだのでしょうか。
当時のことを一番ご存じなのは、大澤さん(初代会長)や松山さん(3代目会長)なんでしょうけど、私も設立準備会には参加していたんです。中心になって活動されていたのは、大澤さんや松山さんですが、みんなで話し合いを重ねて徐々に会の形が出来上がっていったという感じです。伝統的に社会福祉士会は、まずお酒を飲んでから色々決めようという暗黙のルールがありました(笑)。そんな流れの中で「初代会長は大澤さんで決まり!」と進んだ。人格的にも、年齢的にも大澤さんが適任でした。その次が私ということになりましたが、手を挙げたわけじゃないんです。あの頃、大澤さんが仕事の関係で大阪へ行かれていたので、松山さんが会長職は現地にいる人間がいいだろうということで動かれたんだと思います。自分は、次の時代への「つなぎ役」だと考えて引き受けました。


10数人の会員から始まったと先輩方からは聞いています。
そうです、そうです。ですので、その数を増やさないことには組織として成り立たないということで、メンバーを集め会員を増やす活動から始めました。私の学生時代は社会学部でしたけど、別名『酒(社)会学部』と呼ばれていました。お酒を通じてネットワークを作るということばかりやっていました。色んな方がいましたから、中には飲みすぎて角が立つ方もおられましたけれども、徐々に仲間を増やしていった。でも今の若い人は嫌うかもね(笑)。
なるほど。その伝統は今もあるのかなぁ。もしかしたら、私で最後になるかもしれません(笑)。私は平成5年、第5回の国家試験に合格をしました。当時は合格者の名前が新聞に載ったんですよね。それを見た松山先生から電話をいただいて、「お前も会に入れ。」と言われ、合格祝いのつもりで入会した覚えがあります。そして、当時、万代にミナミプラザホテルというのがありまして、そこで新潟県社会福祉士会が初代日本社会福祉士会会長の吉村先生の講演会を企画し総会が開催されました。そのとき初めて近藤さんにお会いした記憶があります。「お前は若いんだから頑張れよ。」って言われたのを覚えています。当時は毎年のように群馬県と合同研修会などもあって、楽しい思い出が多いです。そのときもお酒をよく飲みました。
仕事以外は野球しか知らない人間なもんですから、とにかく酒席は多かったなぁ(笑)。あと、全国各地で開催された社会福祉士会の全国大会でも、なんだか私らがあずかり知らないような分科会があったりね。今だったら許されないよね。


遠藤さんは近藤さんとの思い出はありますか?
怒られた思い出しかありません(笑)。当時は新潟で資格を取って、また東京に戻って就職をしようと思ってたんです。でも、とりあえず新潟で何年か仕事をさせてもらおうかなということで、松山先生に相談したところ、「長岡に三古福祉会ってところがあって、生活相談員の募集があるみたいだから行ってごらん。」って言われまして。そこでお会いしたのが初めてだったと思います。
当時はこちらも人材が欲しかった。松山さんにはたくさんの方を紹介していただきましたから、本当に感謝しています。
今、新潟県社会福祉士会は会員が1300人を超えました。私が入会したときは38人でしたから、ずいぶん大勢になったなぁと思います。でも、入会率をみると、18%くらいなんですよね。全国平均がだいたい16%だから、少し高いというレベルです。私は2年前からまた理事を務めさせていただいています。みんなは嫌がっているでしょうけど(笑)。でも、当時に比べたらずいぶん大人の組織になったなぁという印象を持ちます。反面、高齢化も進んでいて、20代の会員が3%ほどです。それを改善しようとプロジェクトを立ち上げたところです。職場環境の変化や職能団体への理解が進んでいなかったり、色々と課題はあるのですが、その辺りへのお考えはありますか?
私が会長を辞める時点で会員は200人ぐらいだったね。10人のときから関わらせてもらってきたので、それでも多くなったと感じていました。それは時の流れや時代背景もあったんだよね。国が認知症ケアを重点課題に掲げたこととか、福祉というのは実は色んなことができるんだという認識が広がりつつある時代でもあった。寺泊の国立療養所が結核病院からてんかん専門の病院に転換した後、民間に跡地譲渡をするという初めての取り組みのときに、三古福祉会に声がかかったんです。それまで、100%公的な枠組みの中でやらせていただいていたから、その期待には応えたかった。色んなことを検討して、第二種社会福祉事業であればその運営ができそうだってことで取り組みました。そのことから介護老人保健施設(以下、老健)という形で運営をさせていただく形で国立療養所の譲渡にも関わらせてもらった。老健の場合は収益性があるから、社会福祉法人が独自の力でやれるってことも大きかった。そんな構造的な変化と時代の流れもあって社会福祉士会の会員も増えたんだよね。


近藤さんが2代目の会長になられて、社会福祉士が経営者として顧客(クライエント)を大切にする視点、人材育成で職員を大切にする視点がもたらされたと思っています。ソーシャルワーカーとしての視点も大切ですけど、社会福祉事業の経営者、マネージャーとしての視点も持たなければいけない。近藤さんが若い頃も、「今の若い者は!」なんて言われていたと思いますが、現在の若いソーシャルワーカーへの思いはありますか?
すっかり、若い人とのお付き合いがなくなっちゃってるからねぇ。でも、若手の会員が少ないってことは、若手に対して魅力的な発信ができていないって考えなければいけないんだと思うね。それには、社会福祉士会に入会したらどんなメリットがあるのか、しっかり提示して、その上で入会案内をしなければいけない。あとは職能団体として、社会福祉士の地位の向上も視野に入れなければいけない。頑張って国家資格を取ったんだから、その人たちが存在する価値を社会や地域にアピールすることも社会福祉士会の仕事なのかもしれないね。自信を持って「社会福祉士です。」って言えるような環境を作らなければいけない。賃金もそうだけど、やっぱり存在意義とか価値の向上なんだろうなぁ。その土壌を一緒に作ることで、若い人が社会福祉士会に魅力を感じてくれるといいよね。


今、障がい福祉や児童福祉、困窮者支援という領域で、オリジナリティーのある活動をする社会福祉士が出てきています。そういった分野では社会福祉士が足りないという現象も起きている。そして、そのニーズに応えることができる力量を持った社会福祉士も足りないという時代ですので、職能団体として、その育成に努めなければいけないということを再認識しました。また、それは成年後見人が不足していることにも現れていると思います。
社会福祉士というのは倫理綱領に基づく、社会からの信頼度が高い資格。そういう専門職が、チームを組んで、人の生活を支える事業や制度を作っていくことを期待したいですね。例えば、空き家問題なんて、社会福祉士がターゲットにしなければいけないフィールドだと思うよね。でも、そこに求められるのは、その社会課題を解決することを事業として形にできるかどうかってことだよ。つまり、その社会課題を解決する仕組みづくりや実践をマネジメントして、黒字化しなければいけない。多くの社会福祉士がお金をもらうってことに慣れていない。でも、それが社会福祉士の価値を下げてるってことでもある。社会福祉士の実践は商品なわけだけれど、自信を持てなかったり、社会の仕組みがそうなっていなかったりする。それは職能団体の課題でもあると思うね。
福祉領域で仕事をしている人は、その感覚をあまり強く持っていないかもしれません。自分で稼ぐとか、お金をいただくということを、どこか悪いこととして捉えている部分もあります。もちろん、ビジネスライクな側面ばかりでは仕事ができない領域でもありますから難しいところではあります。でも、経営者の立場としては、職員の仕事を安売りすることはできない。そのためには、仕組みづくりや土壌の醸成をしていかなければいけませんね。
まだまだ、高橋さんがやらなければいけないことがたくさんあるね。
インタビューのつもりでしたが、逆に激励をされてしまいました(笑)。今日はありがとうございました。